鯉魚山と猿岩の伝説
2020-11-12
鯉魚山とモンキーロックは、柘林貯水池のダムの南北両側に位置しています。ダムが建設される前は、両山が修河の南北両岸に雄大にそびえていました。
伝説その1:唐の末期から宋の初期にかけて、廬山の西海とされる地域は海昏(県の所在地は鄱陽湖の呉城)に属していました。海昏の人々の多くは、山西省の黄土高原から移り住んだ人々でした。海昏が最も栄えた時代には、人々は安らかで豊かな暮らしを送っていました。しかし、龍宮の妖龍は悪意を持っており、海昏の人々が幸せな生活を送るのを許そうとしませんでした。そこで妖龍は、七七四十九日間にわたり激しい雨を降らせ、海昏を水没させようと企てました。間もなく海昏の人々は滅亡の危機に瀕することになります。この知らせを聞いた天神は焦り、夜中に天将たちを呼び集めて相談しました。彼らが思いついた策とは、鯉魚山と猿岩を修河にまで成長させ、二つの山を合体させて洪水を防ぐというものでした。ただし、鶏が鳴く時刻までに成長を止めなければなりません。これが民間伝承に残る「猿岩よ、伸びよ、鯉魚婆よ、川を越えよ」という話です。神仙たちが議論している最中、一艘の船が猿岩の下に停泊していました。船頭は冷や汗をかきました。もし二つの山が合体してしまったら、命が危ないのではないかと恐れました。急場の智恵で、船頭はまだ時刻が来ないうちに鶏の鳴き真似をし始めました。すると、二つの山は川の真ん中まで成長する前に止まり、船頭は難を逃れることができました。一方、海昏は洪水に飲み込まれ、跡形もなく荒廃してしまいました。数年後、再び海昏を復興しようとしたとき、ある修行を積み正果を得た道士が柘林を通る途中、鯉魚山と猿岩の前で足を止めました。左を見ても右を見ても、彼はこう言いました。「ここは昼には千人の人が参拝し、夜には万の明かりが灯るだろう。」
伝説その2:古代、ある商人が呉城から修水へ商売に出かけた。船は猿岩に到着し、夜になって川の真ん中に停泊した。夜半ごろ、商人は突然の喧騒に驚いて目を覚ました。服を羽織って耳を澄ますと、猿岩と鯉の婆が口論し、互いにどちらが早く成長するか争っているのが聞こえた。猿岩は言った。「俺は猿岩だ。すぐに成長してみせるぞ!」鯉の婆も負けじと叫んだ。「俺は鯉の婆だ。すぐに川を越えてやる!」そう言うや否や、二つの山は一気に川の中央へ向かって近づき始めた。商人はこの様子を聞いて、急いで船頭を起こして船を出そうとしたが、まだ船が出ないうちに、二つの山はもうすぐぶつかりそうだった。命の危険を感じた商人は汗をびっしょりかきながら焦った。まさに絶体絶命の危機に陥ったそのとき、突然、白ひげの老人が大声で叫んだ。「待て!待て!お前たち、私は山の神だ。勝手に強引に動くのは許さない。川を越えたいなら、千年後まで待ってから考えよ!」猿岩と鯉の婆はすでに百メートルほど離れて成長していたが、山の神の一喝により止まった。以来、ここは修水の川幅が最も狭くなった場所となった。商人は山の神に命を救われたことに感謝し、船の先端で香を焚いて礼拝した。それ以来、猿岩を通過する船は必ず香を焚き、爆竹を鳴らして山の神を祭る習慣が定着した。
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