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桃花尖の伝説

2020-11-12

桃花尖は、廬山恋の西海南埠頭、柘林鎮司馬村の南部に位置し、標高は九百メートル余りで、山あいには古くからの廟があります。ここは青々とした山々に囲まれ、断崖絶壁がそびえ立ち、清らかな泉が流れ落ちるなど、非常に美しく、近隣から遠方まで広く知られています。ある若き長工、黄荊という名の男がいましたが、地主の苛めに耐えかねて、人気のないこの地へ逃れ、山を切り開き道を作り、荒れ地を開墾して農業を始めました。彼の勤勉な手により、やがて住みやすい家が築かれていきました。ある日、桃花の仙女が外出して散策していたところ、地上にいる若く美しい青年が勤勉で素朴な姿を見て、すっかり心惹かれてしまいました。彼女は母上である天帝娘娘に内緒で地上へ降り、黄荊と結婚しました。しばらく経つと、天帝娘娘が桃花の仙女の行方を尋ね、天宮にいないことに気づき、宮女たちに真相を吐露するよう迫りました。宮女たちは仕方なく正直に告白せざるを得ませんでした。そこで天帝娘娘は天兵天将を派遣して捕らえようとしましたが、桃花の仙女は決然として宮に戻ろうとせず、天兵天将と幾度か激しい戦いを繰り広げました。やがて彼女は身を変えて巨大な山となり、その中に身を隠してしまいました。怒った天帝娘娘は雷公を遣わし、この山を割って取り除くよう命じました。しかし雷公は苦労の末にもどうすることもできず、断崖絶壁には雷公の手跡が残され、今なお草木が生えないままです。

ある年のこと、桃の花が満開になる季節、一人の樵が薪を拾いに山へ登ったところ、二人の仙人が山中で碁を打っているのを見かけました。彼は思わず足を止め、長い間その様子を眺めていました。すると一人の仙人が樵にこう告げました。「お前はここに来てすでに一日以上経つが、『山の中では七日だが、世間では千年』という言い伝えによれば、もう千年以上もここにいることになる。さっさと帰った方がよいぞ。」樵は答えました。「千年もの歳月が経ち、道はどこにあるのか、家はどこにあるのかさえ分からない。何十代も離れているから、誰だかすら分からないのだ。」仙人は言いました。「焦るな。私が桃の花を一つ摘んで水に流そう。その花が流れ着く先が、お前の故郷だ。」樵は仙人の言うとおりに行動し、やがて自分の家を見つけました。その後、樵の子孫が家系図を調べてみると、確かにその人物が存在していました。数年後、樵は亡くなりました。しかし、樵の子孫たちは桃の花の仙女から霊気を受け継ぎ、たちまち子孫が繁栄しました。子孫たちは皆聡明で才知に富み、教養があり、次々と優秀な人材を輩出しました。朝廷に出仕する者も多く、宋朝で最も高い地位にあったのは司馬という官職でした。当時の県令はこの地を司馬と名付けました。後に人々はこの桃の花の仙女を記念して、この山を桃花山と呼び、山頂を桃花尖と呼ぶようになりました。今でも人々は「山を眺めると雨が降る」という言い伝えを信じており、「桃花尖に雲がかかったら、大雨が近づく」という言い伝えが古くから受け継がれています。

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