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山背文化

2020-11-12

山背遺跡は、廬山の西側上流に位置する修水県上奉鎮山背村にあり、走馬嶺や楊家坪など43カ所の遺跡から構成されています。上層部は商代の遺跡で、下層部は新石器時代後期の遺跡です。1960年代初頭の発掘調査により、多数の生産工具や生活用品が出土し、原始人類の居住跡も発見されました。山背遺跡の文化層は良好に保存されており、含まれる遺物も豊富です。出土した石器には、锛、斧、鏃、鍬、鑿、網錘、鎌、球、卵、砥石などが含まれます。また、出土した陶器には、鼎、規鬲、豆、壺、罐、簋などが見られます。

山背文化遺跡の発見

山背文化遺跡の発見には、一編の伝説的な物語があります。1950年代初頭、山背村の跑馬嶺周辺に住む村民の間で、原因不明の腫れや痛みを患う者が頻繁に現れました。ある村民が山へ薬草を採りに行き、その薬草を腫れや膿瘍に貼り付けてみました。ある時、村民たちは山の中で泥地から三角形の大小の石片を数多く見つけました。それらの石片はまるで矢じりのような形をしており、何人かの村民がそれを拾って村へ持ち帰り、「陰箭」と名付けました。1961年の夏、少し文物に関する知識を持つある村民がわざわざ跑馬嶺の山へ行き、三角形の石片を一つ拾い上げて、文物部門の職員に鑑定を依頼しました。この職員も見たところでは判別できなかったため、当時の江西省文化管理委員会考古鑑定グループに送られました。結果、専門家たちは一致して、村民が「陰箭」と呼んでいたものが、実は新石器時代後期の文化遺物であると認定しました!

1961年、江西省の考古学者らがこの地で地下から石器を発掘した結果、山背文化遺跡が紀元前2800年以上前の新石器時代後期の文化遺跡であることが確認されました。この文化遺跡は、長江中下流および鄱陽湖周辺地域に広がり、段石锛と赤砂陶を主な特徴とする文化遺産です。山背文化、石峡文化、曇石山文化はともに、中国東南地方を代表する新石器時代後期の三つの文化とされています。山背遺跡に代表される新石器時代後期の文化遺産は、江漢平原の屈家嶺、浙江の良渚、嶺南の石峡など各地の新石器文化と多くの類似点を示しており、これらの地域の先住民との文化交流があったか、あるいはその影響を受けたことがうかがえます。

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